大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(う)1708号 判決

被告人 西武仁

〔抄 録〕

一、検察官の所論は、原判決は、

「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年一月二日午後一時五〇分ころ、普通貨物自動車を連転し、長野県下伊那郡高森町山吹三、一二七番地先の幅員約五・六メートルの県道を飯田市方面から駒ケ根市方面に向け時速五〇ないし六〇キロメートルで進行中、左方から同県道に交差する幅員約三メートルの道路上を右県道に向けて進行してくる松下伊一(当時五〇歳)の運転する自動二輪車を左斜め前方約四一・二メートルの地点に認めたのであるが、かかる場合、自動車運転者としては、そのまま進行を継続するにおいては、右自動二輪車と衝突するおそれがあるから、右自動二輪車の動静に留意し、まず徐行し警音器を吹鳴するなどして警告を与え、その安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右自動二輪車が県道上に進出する手前において一旦停止のうえ、自車に進路を譲つてくれるものと軽信し、漫然同速度で進行を継続した過失により、右自動二輪車が一旦停止することなく被告人の進路前を右折の挙に出たため、あわてて急制動の措置を講じたが及ばず、自車前面を右自動二輪車に衝突させて同人をはねとばし、よつて翌一月三日午後二時一六分ころ、飯田市東和町二丁目三〇番地代田外科医院において、脳挫傷等により死亡するに至らせたものである。」

との公訴事実につき、「被告人が被害車両を発見した地点で、出合頭の衝突の具体的な危険を認識した場合には、右時点において、直ちに急停車等の措置をとるべき義務あること勿論である。」としながら、その無罪理由として、「松下伊一の進行して来た道路は、県道との接続部分の幅員三・五五メートル、その余の部分の幅員約二メートルの非舗装の農道で、緩やかな下り勾配をもつてほぼ直角に右県道に交つており、その両側は乾田であるため、県道上の進行車両に対する見通しは概ね良好であると認められ、被告人の当初発見時における被害車両の位置は、右県道との接続点の手前七・六メートル、その時点における右自動二輪車の進行速度は、概ね二五ないし三〇キロメートル程度であると認められるから、松下伊一としては右地点に到達する以前において、既に被告人運転の車両を含む県道上の車両の通行状況を確かめうべく、又専らそのことに充分の注意を払つて、県道進入の際の危険を防止しなくてはならない筋合いであるというべきであり、且つ右時点においては、なお県道に進入する手前で自車を停車させる余地があつたものと認められる。これに対し、被告人の進行し来つた県道は、右農道に較らべて道路交通法第三六条第二項にいう“明らかに広い道路”であつて、国道一五三号線の工事が未完成の現在国道同様の機能を果しており、本件交差点を中心に南北にそれぞれ一〇〇メートル、合計二〇〇メートル余は直線の見通しのよい道路であるから、この道路上を進行する自動車の運転者にとつて、前記状態にある自動二輪車が交差点の進入にあたつて徐行、一時停止し、県道上を通行する車両にその進路を譲つてくれるものと信頼することも無理からぬ状況にあつたものと認められる。従つて、かような場合被告人としては、いまだ相手車両が完全な徐行の状態にない以上、警音器を吹鳴して自車の接近を警告すると共に右足をブレーキペタルにかけ、一時停止の措置が若干遅れることのあることを考慮して、進路前方に対向車両のない限り交差点を通過する際、道路左側を二・三メートルあけて進行すれば、通常の場合相手車両との衝突を避けうべく、それ以上相手車両が広い道路を走行する自車の直前を遮つて危険な右折の挙に出ることまで予測すべき義務はこれを認め難く、被告人は、右の各措置を講じているものと認められる。」旨の判示をしている。しかし、本件は、被害車両を発見したときに、具体的危険が切迫していたものであつて、この点に関し原判決は、事実を誤認し、これに信頼の原則を適用したことは、刑法第二一一条の解釈適用を誤つたもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものと思料するという旨の主張である。

二、そこで、記録にもとづき審按するに(各証拠を)を綜合して考察すれば、

(1) 本件交通事故発生の現場は、長野県下伊那郡高森町山吹町三、一二七番地の幅員約五・六メートルのコンクリートで舗装された県道飯島、飯田線と幅員約二メートル(県道との接続部分の幅員は、約三・五五メートル)の舗装されていない農道(高森町道)が西方からほぼ直角に交差する型の変形な交差点の中心線より東寄りの部分である。右現場の状況は、西高東低の地形で、西方から東方へ段々田圃となつており、県道は、右段々田圃の中腹を大体平坦に蛇行している。県道の北方は、駒ケ根市方面に、南方は、飯田市方面にそれぞれ通じ、西方には、路面から約一メートルの土手を隔てた田圃に続いて山林があり、東方には、田圃がある。農道の路面は、でこぼこが多く、県道に向かつてやや下り坂になつている。また、見とおしの状況は、事故の発生が昭和四三年一月二日午後一時五〇分ころなので、昼間で明るく、田圃も乾田であり、右交差点を中心にして、県道の駒ケ根市方面および飯田市方面は、いずれも目測約一〇〇メートルが直線であり、農道もまた、直線であつて、双方とも見とおしは、良好な場所であること、

(2) 被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年一月二日午後一時五〇分ころ、普通貨物自動車(松本四さ四三九七号、車長四、六九メートル、車幅一、六九メートル)を運転し、事故現場の直線道路に入る前記交差点から約一七〇メートル以上手前のカーブ付近で、先行する軽自動車とセドリツクを次々と追い越し、時速約五〇ないし六〇キロメートルで前記交差点に接近し、追い越しをした後いまだ道路の左側に移行し終らないままの状態で前記交差点の手前約三七・五メートルの地点に達したとき、松下伊一が、被告人運転の前記自動車に気が付かない様子で、自動二輪車(ヤマハ一二五CC)を運転し、前記左方のやや下り坂の農道から県道上に進み出ようとして、時速約二五ないし三〇キロメートルで県道との接続部分手前約七・六メートルに迫つているのを、左斜め前方約四一・二メートルの地点に認めたこと、

(2) 被告人は、右松下が県道へ出る前に一時停止のうえ自車に進路を譲つてくれるものと速断し、直ちに減速徐行の措置をとることなく、道路の右側部分を走り続けたうえ約一四・二メートル前進し、右松下が県道に進出して来たのを左斜め前方約二五・四メートルの地点に認め、急停車の措置をとつたが及ばず、約一九・七五メートル前進し、右松下が県道に進入して右折を終つた際、自車前部を右松下運転の自動二輪車前部に衝突させて同人をはねとばし、よつて、翌一月三日午後二時一六分ころ、同県飯田市東和町二丁目三〇番地代田外科医院において、脳挫傷等により死亡するに至らしめたこと、

(3) なお、本件の衝突地点は、被害車両の進行した道路(農道)の交差点中央から飯田市寄りに約六・五五メートル、被告人車両の進行した県道上の飯田市方面に向け道路左端から約二・〇五メートル、右端から約三・五五メートルの道路中央部分から左側である。また、加害車両の破損状況は、前部バンバー中央凹損ラジエーターモール損傷であり、被害車両の破損状況は、前輪、前照灯、フオーク、泥除け損傷であること、

を認定することができ、記録を精査し、当審における事実取調の結果に徴しても、これを覆すに足る証拠は存しない。

三、右認定の諸事実にてらし考察すると、被告人は、前記車両を運転し、時速約五〇ないし六〇キロメートルで前記県道を北進中、前示のように二台の自動車を追い越したにもかかわらず、そのままの速度で道路の右側を進行したことおよび被告人運転と右松下運転との両車両の右交差点までの各距離および各速度に照らすと、若し被告人が正常に右県道左側を進行しておれば、右松下は、右交差点においてその儘同県道に進出しても、被告人の前方を衝突せずに横切つて右折することが必ずしも不可能ではないような状況であつたのであり、少なくとも右松下がそのように判断してその儘県道上に進出するかも知れないことは、被告人としても当然予測すべかりし状況であつたことが認められる。してみると、被告人は、二台の自動車の追い越しが終るとともに道路の左側の正常な位置に移行して減速徐行し、若し右側進行を続けるならば一層減速徐行して、進路の安全を確認しながら進行し、左方の農道から県道へ進行してくる右松下運転の車両との衝突を回避し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、前記のように道路の左側に移行することなく、減速徐行の措置もとらなかつた過失により本件事故を惹起したものと認めるのが相当である。なお、幅員の狭い農道を進行する松下運転の被害車両が、幅員の明らかに広い県道に進入し右折した際、その手前で一時停止をしなかつたからといつて、右のとおりの情況のもとにおいては、被告人の本件業務上の注意義務違反にもとづく刑責を否定することはできない。

したがつて、本件について、いわゆる信頼の原則を適用して、被告人に徐行義務を課することは失当であり、他に被告人に徐行義務を負わせるに足る事実を認めうべき証拠はないとして、被告人に無罪の言渡をした原判決は、事実を誤認し、ひいては法律の解釈適用を誤つた違法があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条、第三八二条、第三八〇条により原判決を破棄し、検察官の訴因追加の申立を許可したうえ、同法第四〇〇条但書により被告事件について、さらに次のとおり判決をする。

「罪となるべき事実」

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年一月二日午後一時五〇分ころ、普通貨物自動車を運転し、長野県下伊那郡高森町山吹三、一二七番地先の幅員約五・六メートルの県道を飯田市方面より駒ケ根市方面に向け時速五〇ないし六〇キロメートルで進行中、左方より同県道に交差する幅員約二メートルの道路上を右県道に向けて進行してくる松下伊一(当時五〇歳)の運転する自動二輪車を左前方約四一・二メートルの地点に認め、さらに同所の南方約一三〇メートル以上手前の県道のカーブ付近で、先行する二台の自動車を追い越し、右追い越しをした後もそのまま道路の右側の進行を続け、一方右松下は、被告人の車両に気が付かないで県道上へ進入しようとしており、かりに気が付いたとしても、被告人の車両は右交差点より相当手前を進行していて、同車両が道路の左側を進行していれば、十分その前方を横切ることができると考え、県道上へ進入するおそれがあつたから、かかる場合自動車運転者としては、右車両の動静に留意し、まず減速徐行し、かつ、自車を道路左側の正常な進行位置に移行するなどして進路の安全を確認しながら進行し、右自動二輪車との衝突を回避し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右自動二輪車が県道上に進出する手前において一旦停止のうえ、自車に進路を譲つてくれるものと軽信し、漫然同速度で且つ道路右側の進行を継続した過失により、右自動二輪車が一旦停止することなく、同県道上に進出のうえ、被告人の進路前を右折の挙に出たため、あわてて急制動の措置を講じたが及ばず、自車前面を右自動二輪車の前部に衝突させて右松下をはねとばし、よつて、同人を翌一月三日午後二時一六分ころ同県飯田市東和町二丁目三〇番地代田外科医院において、脳挫傷等により死亡するに至らしめたものである。

(飯田 吉川 小川)

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